『ストリートの思想』読んでみた。

 僕の周辺で読んでいる人が多い『ストリートの思想』を読んでみた。いやなんというか、本当にこんなんでいいのかよ、と著者には申し訳ないが思ってしまった。

 路上でサウンドデモをしている集団を、とってつけたようにマルチチュードと呼ぶことにどれだけの意義があるのだろうか。フーコーについての言及があるが、僕からすると「またフーコーを単純な反権力に結び付けているな」という印象しかもてなかった。著者がどれだけフーコーを読んでいるのかは計りかねるが、フーコー=反権力だけで片付けると、彼の真の政治思想は見えてこないだろう。しかしそんなに専門的なことを突っ込むのも悪い気はするのだが。


またストリートの思想が「メディアのスペクタクル化と結びついた社会工学的な知識の円環の外部に位置する」(108頁)であり、ストリートの思想=日常に根ざした運動とあるが、実際は著者の言う「ストリートの思想」こそが島宇宙化していることに著者は気づいていないのではないか。本書は全体として、カルスタ思想だけは現在にあって特権的であり、万人に有効な運動であるかのように語っているが、それが思い込みであることを気付かせた思想こそがポストモダン思想であったのではないか。その意味でいえば、著者の主張はポストモダン思想を踏まえたものとは言えず、単に島宇宙の中で声高に叫ぶ思想でしかないように思われる。そうした島宇宙化を認識した上で議論を始める必要があるのではなかろうか。そうでなければすべての議論が宙に浮いてしまうような気がする。

最近知り合って大変お世話になっている慶応SFC西田亮介さんが言うように

本書が取り扱う大半の記述が、「ストリートの思想」ではなくて、せいぜい「思想の、「ストリート」への仮託」に過ぎない。

と感じた次第である。
・・・でもこんなに言うのも悪い気がする。きっといろんなしがらみで、書ききれなかった論点はあるだろうから。カルスタの勉強もしなければ!!

ストリートの思想 転換期としての1990年代 (NHKブックス)

ストリートの思想 転換期としての1990年代 (NHKブックス)