おくればせのエヴァ感想(ネタバレなし)

公開三日後に見に入ったのにもかかわらず、今になっての感想を。

・とりあえずの感想
 まだネタバレはしない方がいいと思うので、ネタバレなしで書きます。
 で、今作。後輩は今回の映画全般は「救済」がテーマだと言っていたが、むしろそれは旧作(テレビも映画も)においても同じだと思う。エヴァの救済観については宮台先生と竹熊先生のラジオでの対談で取り上げられている。このラジアは07年と09年に2度行っているが、とりわけ07年の宮台先生の解説が詳しい。一応リンクを。http://www.tbsradio.jp/life/spinoff/

 僕が映画を見て最初に気になった違和感は、東浩紀氏がブログで同じように示していた。リンクはこちら。http://d.hatena.ne.jp/hazuma/20090706/1246863711

 僕はエヴァの秘密というか、ロンギヌスの槍とかアダムとか、そういった個別の単語に潜む謎には実はそこまで興味がない。むしろあの電車のシーンや、中学生の時初めて見た時の感想とは違うのかもしれないが、エヴァはあの内面の葛藤シーンが好きだったような気がする。
 宮台先生は95年の放送時に、エヴァを「自己の謎」と「世界の謎」が共存した世界観が構築されていると説いた。その意味で、「自己の謎」に固執する庵野監督の表現方法そのものに、幼かった自分は何かを感じたのだろう。ただし今作のシンジ君に自己の葛藤はそれほど生じてはいない。決断がおこなわれていると解釈すべきだろう。宮台先生が言うように、今作は世界の謎の方向に話が向いている。
 テレビ版における、「自己の謎」に固執するあまり作品世界が崩壊した26話に比べれば、今作は「自己」と「世界」を両立させよう、あるいは「自己」よりも「世界」に重点を置こうとしていることは理解できる。しかし他方竹熊先生が言っていた、「旧作は映像から殺気を醸しだしていたが、今作は庵野監督が大人になって、大人な仕事をしようとしている」という発言は、この両立ないし「世界」に傾斜した作品の世界観を目指しているのならば納得できる。

 またネタバレせずに言うと、正直僕は今回の「破」、前半はなんだか両義的な気持ちで見ていた。確かに面白いんだけど、やっぱエヴァじゃない、というか、こう書くとおっさん臭くてイヤなんだけれども、やはり心のどこかに腑に落ちない部分がある。それは個人的なことで、つまり「自己」に固執しないシンジ君に苛立ちを覚えているのかもしれない。それが97年の映画から何も進歩していない人間の感想であると言われたら確かにそうなのかもしれないが。。。しかし後半はなかなかどうしてやっぱり面白い。

 いずれにせよ、97年から09年のアニメ界の要素のすべてが含まれているとはいえるだろう。そうそういろんな萌え要素もこの12年の間のものをすべて入れてますなあ、絶対領域とか(笑)

 救済とかセカイ系とか思いつくキーワードはあるけど、やっぱりまだ僕の中でエヴァをすべて評価することができない。物語のテーマ性も見えたような見えないような感じだし、まあ、とにかく、また次回作の「Q」で「破」の観客写して「気持ちいいの?」だけはカンベンしていただきたいが。

 今にして思えば97年の映画では、どんなに辛くても、わかりあえなくても、人と一緒に生きていきたいというシンジの気持ちが、当時の宗教の否定の意味も重なってよかったんだけど、今回はすでになんでも嫌だ、だけじゃなく、自己決定する(せざるを得ない状況に生きている)シンジ君なのだと、改めて社会と密接に関係することを再認識。12年の社会状況を踏まえて作品を創造しなければならないのであるからそれは大変な作業だろう。その意味でいえば、旧作と今作の比較がいかに意味のあるものか、ということは多少なりとも感じるところであろう。この自己決定シンジ君が、現代的な意味でどのように振舞うのか、楽しみです。あ〜、「Q」っていつになることやら・・・