ジョン・キム『逆パノプティコン社会の到来』

ウィキリークスとそれに関連した情報社会に関する書籍は、今年に入り山ほど発売してます(もちろん、僕が共著で出させていただいた本もそれに該当します)。


そんなたくさんの本の中でも、今回読んだキム先生の『逆パノプティコン社会の到来』は非常に興味深いものでした(ちなみに、キム先生には一度だけご挨拶させていただきましたが、非常に丁寧でダンディな方でした!)。


本書ではウィキリークスと「情報の共有化、透明性」の問題系を、一連の革命を含めてコンパクトかつ明晰な分析のもと解説し、多くの問題提起をしています。


特に興味深かった一節は、ウィキリークスと大手報道機関(既存メディア)の差異について。「前者は暴露を通じて情報の透明性に力を入れ、後者は情報の検証・分析・報道による情報の信頼性に力を入れるという、相互補完的な関係を構築した」(136頁)。情報の信頼性とは、情報を適切に解釈し、読みやすくどういった意味があるかをわかりやすく記事化し、不適切な情報をカットすることも含みます。


この言葉は、両者の最大の差異を的確に表した言葉ではないでしょうか。私がウィキリークスについてよく質問されるもののひとつに「ウィキリークスはジャーナリズムなのか?」というものがありますが、この図式で考えればすっきりするのではないでしょうか。すなわち、ウィキリークスはジャーナリズムであるが、既存のものとは異なり情報の「透明性」に力をいれている。
 そこで、ウィキリークスは情報の「信頼性」が足りないと考えるのではなくて、むしろ既存のジャーナリズムが情報の「信頼性」ばかりを重視し、情報の「透明性」について力を入れてこなかったと考えれば、この相互補完性についても納得できるというものです。ふう、やっとこも問題にすっきりした回答を出せたなあと思います。

また、「逆パノプティコン」という言葉も、フーコー専門の僕としては興味深く読んだ一因でもあります。ウィキリークスによる「完全情報透明化」と、フェイスブックが代表する「ゲリラ的な市民運動」が、政府を監視するという意味でキム先生はこの言葉を使ってらっしゃると思います。


この点について、僕の立場からするともう少しだけ記述すべき点が。フーコーパノプティコンに代表される「監視と規律の社会」を、静的なものとして捕らえていません。つまり、監視と規律の社会が一度成立すれば、永続的に監視が続くわけではない。「規律社会」時代にも、必ず抵抗運動が存在した歴史があり、ある特定の時代に隆盛を極めた「統治」の方法は、またある時期を境に変化します。そこに見られる現象は、絶え間ない権力と権力の闘争です。フーコーはこの権力関係の闘争関係を重視します。その意味では、逆パノプティコン社会が到来したとして、今後は政府側も新しい統治の方法を開発するでしょう。その場合、この図式でいえば政府と市民の間では、永遠の緊張関係を保った闘争が繰り広げられる。そのように私は思います。逆パノプティコン社会のその先には、新たな闘争が繰り広げられるのです。


何にせよ、一方的に情報を管理され自由を制限されている社会からすれば、逆パノプティコン社会は歓迎されるものだと思います。ただし、それですべてが解決するわけではありません。キム先生も主張してらっしゃる通りに、アメリカも機密情報の管理について策を講じるでしょうし、北アフリカ権威主義的諸国も革命を抑えるための対策を施しています。こうした見えない闘争はすでにはじまっているのです。


本書は様々な論点にも触れていて刺激的でした。これは必読だと思います!


ついでというわけではありませんが、引き続き私の共著もよろしくお願いします。ウィキリークスについての基本情報はこれでバッチリ!

日本人が知らないウィキリークス (新書y)

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